ミライのおもちゃ箱

プログラミング・VR・ドローンとか

ブラック研究室でひどいパワハラを受けて、ストレスで円形ハゲ2コつくった男が、仕事をやめて沖縄に引越して1年過ごしてみた話

場所はどこでもよかった。

 

毎日の叱責、拘束、長時間労働、そんな生活に疲れ果てたわいは円形脱毛症になり、2つのハゲができていた。何もかも捨てたい。そして、死にたい。2018年10月、本気でそんな風に思った瞬間があった。そのときたまたま彼女(今は嫁)がそばにいなければ死んでいたかもしれない。

 

すべて投げ出したいと思った町田のあの歩道橋で、すでに死んでしまったかと思えるほど身体を重く感じた。心が死ぬと身体も死ぬんだと実感した。じぶんのまわりだけ重力が3倍になったかのように感じた。オレはサイヤ人で身体を鍛えていたんだっけ(悟空は重力100倍の宇宙船でトレーニングしていたわけだが…)とその頃はそんなジョークが頭に浮かぶ余裕もなかった。

 

だから、場所はどこでもよかった。何もかも捨てて逃げたかった。

 

そのあとどれだけ早く行動に移したのか、どんなタイムスケジュールでことを運んだのか、いまいち覚えていない。とにかくこれまで何度やめたいと訴えても、怒鳴ったりなだめたりしながらとにかく続けるよう説得し続けてきた上司に有無を言わさぬよう、先に外堀を埋めた。

 

やめる日程を決めて、有給消化のスケジュールをたてて、退職届を提出した。あと少し遅れていたら、ツルッパゲになるか、こんなふうに2度と文章が書けない状態になっていたかもしれない。

 

そして、沖縄に引越した。

 

まるで脈絡のない行動だが、一度GOROmanさんがでるイベントで行ったことがあるし、冬もあたたかそうだし、プログラミングスクールが2万円で受けれるらしいし、とりあえず引越してみよう。

 

引越し自体はその時点で5回以上(関西、四国、関東)経験していたので、慣れたものだった。不動産屋に行って契約するだけ。安くなると思って荷物はゆうパックで送ったが、引越し屋に頼むほうが安く済むとひとつ勉強になった。

 

沖縄にやって来た日。twitterで知り合ったミヤザキさんに送ってもらい、ポークビレッジでのランチ会に参加した。そこでグシさんと出会い、翌日沖縄市からFM読谷まで歩き、人生初のラジオ出演を経験した。そして、引越す最終日である今日、ナカホドさんと一緒にグシさんを訪ねた。

 

わいにとっての沖縄はグシさんにはじまり、グシさんに終わった。

 

沖縄に来てからは2か月間のプログラミングスクールに通い、結婚式の準備をする日々だった。そう、わいは結婚したのだった。結婚式は両方の親族や友人が集まりやすい横浜であげた。そのとき2日間横浜に行った日を除いて、わいは1年を沖縄で過ごした(嫁はもっと頻繁に本州に行っていた)。

 

プログラミングスクールの内容はProgateとだいたい同じで、BottleというPythonのフレームワークを学べたのが貴重な経験だった。そこでさまざまな人と出会うきっかけをもらえたが、そのスクールは3月いっぱいで閉まり(コミュニティを大切にすると標榜していたが、スクール生とのつながりであったフェイスブックグループは削除されてしまった)、講師の大半の人は仕事をやめるか、県外に引越してしまった。

 

そのあとはクラウドソーシングで依頼のあった仕事をしたり、じぶんがほしいアプリをつくったりしていたが、せっかくなのでプログラミングに関する職業訓練を受けることにした。その後の半年間でJavaを主体にしたWebプログラミングをみっちり学習できたことで、多少はましなWebアプリがつくれるようになった。

 

沖縄でストレスのない日々を送る中で、わいの髪は癒え、皮膚が円形に露出した面積が減り、ついには髪に覆われた。引越して数か月もたたないうちに、ハゲは消えたのだ!日本人の死因の1位はガンだ。ガンの原因はストレスだ。ストレスが可視化された状態が円形脱毛症であり、身体が精いっぱい表現する過剰なストレスのサインだ。

 

沖縄の温暖な気候(夏場は湿度と照りつける日差し、台風で大変だが)、比較的安い生活費、誰からも怒鳴られたりしない生活はわいのハゲを治すのに十分な効果があった。「貯金なんてするな、常にフルレバでいけ」というインフルエンサーの発言が取り沙汰されがちな世相だが、貯金があったからこそ自由な選択ができた。

 

職業訓練に通うため、半年間は朝6時のバスに乗り、沖縄市から那覇市まで1時間以上かけて通った。まるでサラリーマンだが、バスは座れたのでみっちり読書できた。Kindle Unlimitedで読めるくだらない漫画や雑誌(裏モノJAPAN)も死ぬほど読んだが、基本情報やプログラミング関係、マーケティング関係の本も読んだ。

 

前職は研究職で、権威に凝り固まった教授、准教授、スポンサー企業のお偉方と接する機会が多かった。しかし、職業訓練で出会う自然体な人たちとのなんでもない会話は楽しかった。職業訓練を受ける我々に対して、国のカネをもらって働かないやつ的な偏見をもつ人もいるが、人生を再スタートするために非常にいい制度だと思う。

 

我々は他人に厳しすぎるんじゃないか。その厳しさは誰のためになるのか。最近、トム・デマルコの管理に関する優れた書籍(デッドラインとピープルウェア)を読み、誰のためにもならない厳しさで世の中ががんじがらめになっていることに気づいた。その閉塞感は人を病ませ、国力を損なっている。職業訓練を受けることで、社会の歯車をちょっと外れてみたからこそ、客観的な視点がもちやすくなっている。

 

沖縄はこれまで住んだ中では特殊なまちだった。それは年中あたたかな気候や、ほとんどが鉄筋コンクリートの中低層建築物が占めるまちなみ、外周を覆う美しい海といった表面的な側面だけじゃない。

 

特に本州出身者なら強く感じるであろう沖縄のリゾート的なブランドイメージとその実際、そのギャップに目新しさを感じた。以前、関東のベッドタウンでまちおこし的な活動をしていたことがあるが、沖縄のことは誰だって知っているのだ(その地域の名前はあまりにも無名だ)。

 

もちろん実際に沖縄に住んでみたことで、「沖縄」と一言では言えず、那覇があり、沖縄「市」があり、読谷があり、北谷があり、宜野湾や、浦添、豊見城、果ては名護があること(そして、もっと多くの地域の違いがあること)を知ったが、少なくともわいはとにかく沖縄というだけでいいイメージを感じる。

 

たとえば秋田とか、たとえば鳥取と言われるより、沖縄のほうが興味をひかないだろうか。パッと頭に美しい海のイメージが広がらないだろうか。そんな沖縄も他の地方と同様かそれ以上に厳しい問題を抱えており、特に雇用面でまるで夢のない実情があった。

 

これまでの沖縄でカネを稼げたのは大手か、補助金関係か、基地関係だ。お金の流れのどこに食いこむかで決定的な差がつく世界だ。産業をもたない地方が抱える日本の問題ではあるが、じぶんがそこでいち労働者として働いても、ミライはつくれないと考えた。

 

今すぐはなにもできない。だって、ニートだし(笑)、まともなプログラミングに関する実績もない。カネもないし、コネもない!でも、今すぐになにかできなくても、10年後なら違うかもしれない。わいは10年後にもう一度、この住みやすく、楽しい人たちがいる、我々夫婦を癒してくれた地に帰れるよう努力したい。

 

地域活性化や地方創生は補助金をひったくるための口実としか思っていない。これらのことばに意味はない。ただ稼げる仕事が、儲かるビジネスがあれば、それが産業になり、人が住む理由になる。地域が盛りあがるひとつのきっかけになる。

 

日本人が忌み嫌うこのカネ儲けに興味がある。社会を変えるのは政治家ではなく、起業家やサラリーマンだ。経済こそが社会であり、それをないがしろにしてどんな国家も成立しない。

 

VRの興味からはじめたプログラミングの勉強だったが、この世界ならワンチャンひと儲けできるのでは?と感じている。少なくとも、大手ゼネコンで設計をやっていた頃より、地域活性化のまねごとをしていた頃より、工場でベルトコンベア労働をしていた頃より、老人病院で介護をしていた頃より、大学で研究職をやっていた頃より可能性があるはずだ。

 

現状はVRは手つかずで、Webプログラミングに偏っている。VTuberやVRChatに熱狂している多くの人たちと関心が違うことにはずいぶん前から気づいていた(じぶんが今最も興味をもっているのはゲーミフィケーションだ)。

 

それでも自由の極みのようなGOROmanさんがいるVRの世界に魅力を感じる。その方向がじぶんがすすみたいミライだと強く感じる。VRをやっている人たちはまったくカネカネしていないし、じぶんがそこで稼げるようなものはなにひとつもっていないが、方向だけは勝手に決めた!

 

ミライは自転車みたいにじぶんが向いた方向にすすむものだと、ど深夜にいただいたリプを胸に刻んでいる。

 

ハゲができようが、無職だろうが、カネがなかろうが、コネがなかろうが、とりあえずやってみよう!ミライをあきらめなくなったじぶんのことがうれしいんだ。